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長野地方裁判所飯田支部 昭和63年(ワ)23号 判決 1989年2月08日

原告

甲 野 太 郎

被告

株式会社ぎょうせい

右代表者代表取締役

藤 澤 乙 安

右訴訟代理人弁護士

宮 原 守 男

倉 科 直 文

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、被告出版の交通事故民事裁判例集に別紙謝罪文記載のとおりの謝罪文を掲載せよ。

2  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年三月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、肩書地に本店を置き書籍等の印刷・出版・販売等を目的とする株式会社であり、不法行為法研究会編交通事故民事裁判例集を発行しているところ、昭和五八年一一月二五日付同編交通事故民事裁判例集第一六巻第二号(以下「本件裁判例集」という。)の四六四頁ないし四七一頁に、「保険金詐欺事件」との索引項目を付して、原告を当事者とする長野地方裁判所飯田支部昭和四七年(ワ)第一五号、第二三号、第二六号、第六二号併合事件の同裁判所支部昭和五八年三月三一日宣告の判決(以下「本件判決」という。)を登載した。

2  本件裁判例集の本件判決の掲載によって、次の理由のとおり、原告はその名誉を著しく毀損された。

(一) 原告を実名で表示した。

(二) 原告の国籍名は「○○○」であるのに、故意に「×○○」と記載して、原告を差別扱いした。

(三) 本件判決は民事事件であるのに、索引の項に「保険金詐欺事件」と表示し、あたかも原告を刑事事件の詐欺被告人と同視した扱いをした。

(四) 本件裁判例集は、本件判決が確定しないのにこれを掲載した。

3  被告は、本件裁判例集の掲載頒布行為によって故意に原告の名誉・信用を毀損し、原告に多大の精神的苦痛あるいは社会的評価に対する侵害を与えたもので、右不法行為により原告は金五〇〇万円の損害を被った。

4  よって、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六三年三月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、その名誉の回復のため、請求の趣旨第一項記載のとおり謝罪文の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、本件裁判例集中の原告が引用する部分の内容は認め、その余は争う。

原告の実名につき「○」とすべきところを「×」としたのは、誤植にすぎず他意はない。

3  同3は争う。

三  抗弁

1  本件裁判例集は、不法行為に関する研究、その成果の普及及び交流を目的として結成された不法行為法研究会が、コンピューターなどによる判例検索システムを目指して判例の発掘と集積・整理を行いつつ、従来の公刊判例集よりも多くの、かつ最新の判決情報を収録した交通事故関係の専門判例集の公刊を求める法学者、法曹、保険・共済実務家の需要にも答える目的で企画・編集し、昭和四四年四月の第一巻第一号発刊以来、今日まで刊行されてきたものである。

2  本件判決の内容は次のとおりである。

(一) 当事者

長野地方裁判所飯田支部昭和四七年(ワ)第一五号事件(以下「①号事件」という。)

原告 甲野太郎こと○○○

被告 日産火災海上保険株式会社

同裁判所支部同年(ワ)第二三号事件(以下「②事件」という。)

原告 甲野太郎こと○○○

被告 日本火災海上保険株式会社

同裁判所支部同年(ワ)第二六号事件(以下「③事件」という。)

原告 甲野太郎こと○○○

被告 同和火災海上保険株式会社

同裁判所支部同年(ワ)第六二号事件(以下「④事件」という。)

原告 富士火災海上保険株式会社

被告 甲野太郎こと○○○

(二) 事案

右各事件はいずれも、昭和四六年四月二四日に長野県小県郡和田村国道一四二号線男女倉口バス停留所前において発生した乙川次郎運転の乗用車と丙山三郎運転の乗用車との接触事故に関するものである。

原告は、右乙川車に同乗していたが、右交通事故により頸部捻挫・視神経萎縮等の傷害を受け、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令別表九級一号相当の後遺障害(視力障害等)を残したとして、右各保険会社に対し保険金請求(①事件は搭乗者傷害保険金の請求、②事件は交通事故傷害保険金の請求)あるいは自賠法一六条の損害賠償額の請求(③、④の各事件)をした。なお、①、②及び③の各事件は原告が前記各保険会社を被告として訴を提起したものであり、④の事件は原告の請求により一旦は支払った自賠法の損害賠償額(後遺障害分)について、その後遺障害は存在しないことが判明したので、前記保険会社が原告に対し不当利得金の返還を求めて訴を提起したものである。

(三) 裁判所の判断

本件判決は、原告の傷害及び後遺障害の存在は認められないとして、①ないし③の各事件について原告の請求を全部棄却し、また、④の事件についても原告に対し受領ずみの金員全額の返還を命じた。すなわち原告全面敗訴の判決である。その判決理由の中で裁判所は、問題の事故は自動車同士の接触事故であって接触のショックも殆ど無く、事故直後原告らは警察官に対し怪我がない旨申し立てていたこと、後遺障害に関する原告の主張は運転免許更新時の適正検査合格の事実と明らかに矛盾することなどを指摘し、さらに視力障害の点を含め原告の症状は他覚的所見がなく、専ら本人の医師に対する訴えに従って診断されたものでしかないことを指摘し、原告が前記各保険会社に対する請求の根拠としている傷害及び後遺障害は事故当初から存在せず、原告の主張は虚偽であり、原告は医師に対しても虚偽の事実を述べて真実に反する診断書を作成させる等していたことを認定した。

(四) 確定

本件判決を不服とした原告は、東京高等裁判所に控訴した(同高等裁判所昭和五八年(ネ)第一五八六号事件)が、控訴審においても、昭和五八年一二月二七日原告の主張する傷害及び後遺障害が虚偽であるとする原判決の認定を全面的に支持し、右控訴を棄却した。本件判決は昭和五九年一〇月一九日確定した。

3  本件裁判例集は、前述のとおり、その目的は専ら公益を図るところにあり、原告に対してその名誉を損なうといった害意・悪意はない。すなわち、

(一) 訴訟事件においては、訴訟当事者は実名によって特定され、その審理と判決言渡の手続も公開の法廷で行われ、原則として訴訟事件記録の閲覧も一般に認められるものであるから、本件判決を本件裁判例集に登載するに当たって原告・被告らの訴訟当事者の実名を記載することに何ら違法はない。

(二) そして、右訴訟当事者の表示部分において原告の実名「○○○」を「×○○」と表示したのは、誤植であって意図的なことではない。因みに「○」と「×」はよく似た字であり、その記載ミスあるいは誤植は本件に限らず、日常しばしば起こることである。

(三) 本件裁判例集の前記刊行の目的からして、収録した各判例については判決全文(裁判官及び当事者名も含む。)をデータとして収録するとともに、各判例ごとに事実の内容に応じた「索引」を付して読者による判例検索の便宜を図ることを編集の方針としており、また、このことが交通事故民事裁判例集の重要な特徴となっている。この収録事件ごとに付された索引表示に従って、交通事故民事裁判例集は各巻(一年で一巻とする。)ごとの索引号において収録判例を「事項索引」、「被害者類型索引」など何種類もの角度から整理・紹介している。

本件判決は、前記のとおり保険会社から保険金等の支払を受けあるいは受けようとした交通事故の「被害者」が、医師に対し虚偽の症状を訴えるなどの手段をとってまで、虚偽の傷害及び後遺障害の申し立てを行った旨明確に認定した裁判例である。その点で不法行為法とそれに関連する法領域の研究者と実務家にとって参考となる実例である。従って、その「索引」として「保険金詐欺事件」と表示したことは、この判例集の編集・刊行の目的に照らして当然のことであり、正当なものである。因みに本件と同様に判決において保険金の詐欺事件である旨認定された事件について「保険金詐欺事件」あるいは「偽装事故」などの索引を付した例は本件裁判例集の前後を問わず存在するのであって、原告が当事者となった本件判決についてのみ、特に意図的に右表示をしたものではない。

また、「詐欺事件」という表示は、刑事事件に特有なものではなく、民法典にも「詐欺」という表現を採用し、本件のような民事においてもその概念は存在し、実務においても刑事事件となっているか否かに関わりなく、広く普通に使用されている言葉である。

(四) なお、判決確定の前後を問わず、当該判例集の目的に照らして資料価値のある判例をその該当する年度の判例集に収録し出版することは当然のことであり、この点は裁判所の編集・発行する判例集においても同様である。判例集には確定した事件しか収録できないなどというルールはない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は不知。

2  同2の各事実は認める。但し、原告の主張が虚偽であったとの主張は否認する。

3  同3の各主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実、同2の事実のうち本件裁判例集に原告主張の記載形式で本件判決が登載されていることは当事者間に争いがない。

二本件判決が原告を当事者とする民事訴訟事件の判決であることは当事者間に争いがないところ、訴訟事件においては原告・被告等訴訟当事者、訴訟関係人は実名によって特定され、その審理は勿論判決の宣告に至るまで重要な手続は公開の法廷で行われ、訴訟事件記録の閲覧も一般に認めることが原則とされており、右手続に則して宣告された判決(以下「判決書」をも含む。)は直接には訴訟当事者に対するものであることは言うまでもないが、民事訴訟制度を担保する意味からも当該判決それ自体に公表性を内在するものと言うことができる。従って、判決が不法不当な目的に供されるとか、当事者等のプライバシーを必要以上に侵す目的もしくは方法によるなど特別の事情の存しない限り、判決の公表が直ちに当事者等の名誉・信用を侵害するものではないと解するのが相当である。

<証拠>によれば、本件裁判例集は、不法行為に関する研究とその成果の普及及び交流を目的として、法学者・実務家によって結成された不法行為法研究会が企画・編集して、昭和四四年四月頃第一巻第一号を創刊した(当時の発行名義は株式会社帝国地方行政学会)ものであり、その発刊目的は右不法行為法研究会が、コンピューターなどによる判例検索システムを目指して判例の発掘とその集積・整理を行いつつ、従来の公刊判例集よりも多くの、かつ最新の判決情報を収録した交通事故関係の専門判例集の刊行を求める法学者、法曹、保険・共済実務家の需要にも答えるために企画・編集されたものであること、従って交通事故民事裁判例集には、最高裁判所、各高等裁判所、各地方裁判所における昭和四三年一月以降の交通事故損害賠償事件の判決の中から、学理上、実務上参考となるものを選択・収録した判例については原則として判決全文(裁判官及び当事者名を含む。)をデータとして、事案の内容に応じた「索引」を付して掲載してあること、本件裁判例集についても、右の形式で本件判決の全文を掲載してあること等の事実が認められ、これに反する証拠はない。

右認定の事実によれば、本件裁判例集を含む交通事故民事裁判例集は、不法行為法研究会が判例の検索・研究の中で法学者、法曹、保険実務家等の交通事故関係の専門判例集の公刊の要望に応えて、従来の公刊判例集や判例雑誌よりも多くの判決をより早く関係者に提供する目的で発刊されたものであって、判決の収録・整理並びに右判例集の編集も専門的知識を有する法学者、法律実務家によってなされていることが認められ、前記認定の事実に弁論の全趣旨を加味すると、右裁判例集はその創刊以来法学者、実務家から相当の支持を受け、多数の判決が資料提供されていることを容易に推認することができる。

1  本件裁判例集に原告を実名で掲記した点について

前叙のとおり、本件裁判例集は学者、実務家等の研究又は参考に資するところ甚大というべきであり、その目的は専ら公益を図るためのものであることは明らかである。そして本件裁判例集の前記編集方針に基づき本件判決の全文を登載したものであるから、原告名は他の当事者名と共に本件判決と一体として捉えるべきであり、原告を実名で掲記したことに違法性はなく、特に本件にあっては、被告ないしは不法行為法研究会において原告の名誉・信用を毀損すべき故意も認められない。

2  原告の国籍名「○○○」を「×○○」と記載した点について

本件裁判例集の目的、方針、編集態度からすると、原告名を「×○○」としたことは単純な誤植にすぎないことが推認され、被告ないしは不法行為法研究会が、原告を意図的に差別待遇したなどということは到底認められない。

3  本件判決の索引標題を「保険金詐欺事件」と表示した点について

<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件判決は①ないし④併合事件の判決である。

右各事件はいずれも、昭和四六年四月二四日、長野県小県郡和田村国道一四二号線男女倉口バス停留所前において発生した、乙川次郎運転の乗用車と丙山三郎運転の乗用車の接触事故に際して、右乙川車に同乗していた原告が、右交通事故により頸部捻挫・視神経萎縮等の傷害を受け、自賠法施行令別表九級該当の後遺障害(視力障害等)を理由に、各保険会社に対し保険金請求(①事件は搭乗者傷害保険金の請求、②事件は交通事故傷害保険金の請求)あるいは自賠法一六条の損害賠償額の請求(③、④の各事件)をした。

①ないし③の各事件は、原告が各保険会社を被告として訴を提起したものであり、④事件は原告に支払った自賠法の損害賠償額(後遺障害分)について、その後遺障害は存在しない架空のものであるとして、保険会社が原告に対し不当利得金の返還を求めて訴を提起したものである。

(二)  長野地方裁判所飯田支部は、①ないし③の各事件について原告の各請求をいずれも棄却し、④事件については原告に対し受領ずみの金員全額の返還を命ずる旨判決した。

本件判決の理由中で裁判所は、右交通事故は自動車の側面同士の接触事故であって接触のショックも殆ど無いものであったこと、事故直後原告らは警察官に対し怪我がない旨申し立てていたこと、後遺障害に関する原告の主張は運転免許更新時の適正検査合格の事実と明らかに矛盾することなどを指摘し、さらに視力障害の点を含め原告の症状は他覚的所見がなく、専ら本人の医師に対する訴えに従って診断されたものでしかないことを指摘したうえ、「(後遺障害等の診断書)の記載と免許更新時の視力が全く異なるのは、原告甲野が医師に対しては虚偽の訴えを行い、医師がそれを真実と信じて診断したからだと認めるべきであり、これに反する原告甲野の本人尋問の結果は採用しない。」と判示し、「少なくとも視力障害についての原告甲野の訴えは虚偽であり、その障害なるものは全く存在しないものと認めるべく、また、その他の傷害や後遺障害なるものも、他覚的所見が殆どないのに原告甲野の訴えを真実であると信じてなされたものであってみれば、原告甲野の右のような虚偽の訴えをする態度からして、到底存在するものとは認められない。傷害及び後遺障害が存在するかのごとき原告甲野の本人尋問の結果は採用しない。」と判示し、④事件についても「原告甲野は自己に視力障害の後遺障害のないことを知っていたものというべきであるから」受領した金員を返還する義務がある旨認定した。

(三)  原告は、本件判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所も原告の主張を排斥して控訴を棄却した。右控訴審も原告主張の主要部分については本件判決の認定を全面的に支持し、本件判決の説示したところをそのまま引用して、その判決理由とした。

(四)  右控訴審に対する上告はなく、本件判決は昭和五九年一〇月一九日確定した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定した事実によれば、本件判決は、原告が保険会社に対する請求の根拠とした傷害及び後遺障害について、そのものが事故当初から存在せず、原告の主張は虚偽であったこと、原告は医師に対しても虚偽を述べて事実に反する診断書を作成させる等したことを認定したことが認められるのであって、本件判決の判断は原告が、当初から交通事故により傷害を負い後遺障害を残した旨の申告をし、これを誤信した保険会社から保険金等の支払を受けようとし、あるいは実際に支払を受けることに成功していたことを明らかにしたものと言うべきである。

そうすると、被告あるいは不法行為法研究会が本件判決を保険金詐欺事件と論評したことは相当である。そして、本件裁判例集の刊行目的は前記のとおりであり、その編集方針が収録した各判例について判決全文をデータとして収録し、各判例ごとに事案の内容に応じた「索引」を付して、読者に判例検索の便宜をはかることにある点も前示のとおりである。従って、原告の実名と索引の表示によって原告の名誉を損なう虞があるとしても、本件裁判例集の刊行目的が専ら公益性にあり、本件判決を正当に把握しているうえに、本件裁判例集が法学関係者を対象読者とする専門雑誌であって読者に索引標題に対する批判力が期待されるのであって、その違法性は阻却され原告の名誉・信用を害したものとして被告に責任を問うことはできないと言うべきである。また、「詐欺」という概念が法律上刑事事件に特有なものでないことは言うまでもない。

4  本件判決の確定前に本件裁判例集に登載したことについて

一般に、判例集に収録する判決はその確定の前後に拘りなく一裁判所の判断として価値のあるものであり、確定を絶対の条件とする法理はない。そして、本件裁判例集の目的とその対象読者層が前示のとおりであるから、本件判決をその確定前に登載・刊行したことは何ら違法とは言えない。

三以上説示のとおり、本件裁判例集の本件判決の登載が原告の名誉・信用を侵害する不法行為を構成しないものであるから、右主張を前提とする原告の請求はその前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

四よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官羽田 弘)

別紙謝罪文<省略>

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